文章を書いて、そこに映像をつけてはいけない
シナリオを書く上で一番肝に銘じておかなければいけないことは、ナレーションを中心に考えたりしないことです。
販促映像の聴覚的要素として、一番よく用いられるのがナレーションです。
一人のナレーターが、淡々と語り続ける形式の商業映像は多いです。
こういう作品では、とかくナレーションが中心と考えてしまいがちです。
これはナレーションが「文章」なのに対して、映像はそうではないからではないでしょう。
文章は、ちゃんと教育を受けた大人なら書けて当たり前ということになっています。
小学校から「作文」の授業はありますし、高校くらいになると小論文を書く訓練もさせられます。
いっぽうで映像の構成をするなんて授業は、専門学校や芸大の映像学科にでも入らない限り受けません。
仕事で文章を書く必要がある大人も多いですし、販促担当者などは特にそうでしょう。
文章でアピールすることに慣れている人は、文章のロジックで映像も組み立ててしまいがちなのです。
まずナレーションという「文章」を書いて、あとからそこに映像を当てはめようとする。
これでは、いい映像作品にはなりません。
映像には映像の「論理」がある
文章のロジックではなく、映像それじたいの「論理」で展開を作っていかないと、映像作品としてはおかしなものになりかねません。
言葉にするのは難しいのですが、映像はそれじたいの「論理」を持っています。
たとえば一日の時間経過は、朝~昼~夕方~夜と過ぎていきます。
朝のシーンに続いて、夜のシーンがあらわれ、次にもう一度朝または昼のシーンがあらわれたとします。
そうすると、視聴者はこれを「次の日になった」と解釈します。
作者が、まず朝と夜を対比しておいて、それから朝についての話を展開したいと思ったとしても、視聴者はそうは見てくれません。
だから映像作品では、朝についての話はまとめてしなければならないし、朝についての話が終わってから夜についての話をするべきなのです。
もうひとつ。商品を見せるとき、いきなり内部のことから話をはじめてはいけません。
商品はまず外観を見せ、それを開くかたちで内部を見せて、そこから話を展開していかないと、視聴者はついて来られません。
一刻も早く内部構造の話をしたくても、ていねいに外観から、内部に入っていくビジュアルを見せる必要があるのです。
まず、ビジュアルをどう配列したら視聴者が無理なく理解してくれるか、という論理を組み立てることから、シナリオ書きはスタートするのです。
言葉にすると難しいですね。なかなか、よい例を思いつきません。
とにかく、シナリオ作業の最初にナレーションとなる文章を書くことはやめてください。
最初に、ビジュアルをどう配列すれば視聴者が理解してくれるか、それを考えることからはじめましょう。
次項「映像の『順番』」に続く