ブログのほうでも書いているんですが、音楽家の佐久間正英氏がブログに「音楽家が音楽を諦める時 」という衝撃的なコメントを書いて、話題になっています。
僕らはよりよい音楽(音)を作ろうと日々努力する。そういう仕事だから当たり前のことだ。
よりよい環境(スタジオ等)を求め、よりよい機材で、よりよいやり方を試行錯誤し。知らない方から見れば「何でそんなことに?」と思える様な些細な部分にも注視し努力を続けて来た。
ところがあるボ−ダーラインを越えてしまうとその努力もやりようが無くなってくる。(…)この予算が抑えられると言うことは何かを削る事にしかならない。そしてその”何か”とは無駄を押さえることギャラやスタジオ代の交渉に留まらず、残念ながら『音楽の質』を落とすことになる。
畑違いの音楽家の発言ですが、映像制作の世界でもこれと同じことが今現実に起こっています。
ネットを探れば、一桁万円で「映像制作を引き受けますよ」という広告がズラリ。
たしかに、そこに頼めば、数万円でなにがしかの映像コンテンツが出来てくるのでしょう。
だけども、それは佐久間氏の言っている「あるボーダーラインを越えている」仕事なのではないかと疑ってかかる必要があるかもしれません。
プロに仕事を頼むについて発注者は、それなりの結果を求めていることに違いありません。
それは、やはりコンテンツとしての「質」なのではないか、と私は思います。
これは画質がよいとか、音声がクリアだとかいうことだけではありません。
クライアントが必要としている課題の克服ができているか。
広告映像であれば、ちゃんと視聴者に商品やサービスのアピールができているか、ということです。
広告映像の質が低ければ、商品やサービスの質も低いのではないか、という印象をあたえてしまいます。
たとえ数万円であっても貴重な広告予算を無駄にしてしまわないためには、映像制作にも「必要な予算があり、それを削ることはよい結果を生まない」ということを覚えておいていただきたいのです。